2018-11-27 第197回国会 参議院 文教科学委員会 第3号
けれども男性はその場所でもがき苦しんで、シーツからはみ出て独居房をのたうち回る。途中、水、水、そういうような叫びが聞こえてくるんですけれども、職員来ないんですね。少なくとも午後七時頃からもがき、苦しみ、叫び続けて床をのたうち回り続けた。消灯後、電気が消された後も、もう既に声を上げる状態じゃなくなっているんですね。最終的に男性は動かなくなる。
けれども男性はその場所でもがき苦しんで、シーツからはみ出て独居房をのたうち回る。途中、水、水、そういうような叫びが聞こえてくるんですけれども、職員来ないんですね。少なくとも午後七時頃からもがき、苦しみ、叫び続けて床をのたうち回り続けた。消灯後、電気が消された後も、もう既に声を上げる状態じゃなくなっているんですね。最終的に男性は動かなくなる。
雑居房であれば、午前四時とはいえ何がしかの不審な動きというのがわかったんじゃないかなと思うんですが、逆に、独居房ということで、メンタル的な部分というものがもしかしたらあるのかな。きょうは、どちらかというと、疾患というか、メンタル的な部分以外の部分についての質問をさせていただくんですけれども、そういったような部分のメンタル的なケアもしていかないと、こういったようなことが起きるのかなと。
この場合、午前四時ということなんですけれども、独居房だったのか雑居房だったのか、その点、通告がないので資料がないかもしれませんが、おわかりの範囲内で御説明いただきたいと思います。
ところが、彼はそこでももがき苦しみ、独居房をのたうち回った。これを何時間も続けて、最終的に動かなくなった。少なくとも夜七時頃から苦しみもがき始めて、夜中三時に職員が気付くまでそういった状況だったそうです。 こんな悲惨な死に方されているんですよ。打合せしている場合じゃないんですね。弾力的に運用されているって話じゃないんですよ。
処遇が最近厳しくなったからであるというふうに言う人あり、あるいは例の医療行為のことを言う人あり、あるいは組織における親分が独居房に入ったことで不満であるとか、こういう、いろんな言うことが違うので、一つの原因に特定はちょっとしにくいというのが今の状況です。
○石関委員 それでは、過剰収容になっているという具体的な事例で、ほかの資料でもそういうのを拝見しましたけれども、三畳ほどの単独室、独居房に二人収容されているとか、六人用の部屋に八人いるということなんですが、そもそも単独室、独居房というのは、そこに収容される人は、この人は大部屋、この人は単独の部屋ですよというのは、どういうことで割り振られているんですか。
これは矯正局長にお伺いしたいんだけれども、これを見ますと、消火栓と言われておりますけれども、実はほかの、工場区とか舎房区の、独居房なんかに水道がありますわね、便所とか。あれと全部同じ配管だったんですね。
別にするというと、労役留置を受けている人はどんな労役の場所でやっているんだといったら、独居房で一人でやっていると。その日の一日の日当換算、それこそ一日が五千円から一万円の差がありますから、非常にこの労役場の労役、要するにお金を払えない者はやっぱりどういうふうにその罪を償っていくのか。
八割強の施設が定員オーバーで、行刑の受刑者が定員一人の独居房に二人収容されたり、食堂が満杯で作業場で食事をせざるを得ない、こうした刑務所もあると聞いております。一昨年には、山梨の甲府刑務所で受刑者が刑務官にのみでのどを切りつける、こうした傷害事件もありました。こうした受刑者同士のストレスもさることながら、警備や矯正に関して十分に行き渡るのか、こうした不安があります。
こういった間違ったことをやったり、当然彼自身は独居房にずっと入れられているんですね。そういう意味では、入浴も含めて極めて非常に差別的な待遇がされていた。 それに対して、その当時、法務省の矯正局保安課長名あるいは矯正局の医療分類課長の名前で通達が出されています。
そんな状態で、中にはとても聞いたことのないような外国語が飛び交っておりまして、そんな五十名、五十室以上ある独居房の収容者たちをわずか二人の刑務官、夜はたしか一人でしたね、そんな少人数で対応していました。正にてんてこ舞いという、そんな様子でしたね。 獄舎の中というのはかなり声が響くもので、それぞれの収容者が何を訴えているかというのはよく聞こえたんですね。
そこで、私自身、やはりああいう、私は一年二か月ちょっとの間、ほとんど三畳余りの独居房で過ごしておりましたが、何もないですね、突起物もないような部屋で、テレビを見るといってもチャンネル権は全くない、新聞も一日十五分閲覧されるだけというような生活の中で、だんだん自分が人間としての自信みたいなのを失ってくるんですね。私、そういう生活を一年二か月送った。で、刑務所から出た。
時に何かひそひそ話のようなことがあって、どうも独居房に入れられて、そして自分で部屋掃除までやらされているんだなんというようなことが、そんなこと信じられますか。 いずれにしろ、弁護士を通じてはっきりそこは世界全体に知らせるべきだと思う。みんなが関心持って眺めているわけですから。 そして、どんな極悪犯人でも、やっぱりそういう裁判をきちっとやって、そして判決を下しているんだなと。
府中刑務所を見させていただいたとき思いましたのは、独居房という名前、全然名前じゃなくて二人入っている、六人部屋に八人、九人入っている。それは、普通の人でもいらいらしてけんかになりますね。夜中、トイレに行くときに、足をけ散らかしていったとかなんとかいってけんかになる。それもさばかなきゃいけない。そういって大変な日常生活を送っているのが刑務官の方々だと思っています。
「「塀の中」は定員オーバー」というタイトルなんですが、定員六人の十畳前後の雑居房に七、八人が詰め込まれたり、三畳ほどの独居房に二人が入れられたりすることがある、各施設では教室や集会室の模様替えや、空き地に舎房を増設するなどの対応で急場をしのいでいると、こういう記事があるわけですね。 全国各地の刑務所でこういう状況が現実にあるのか、その点についてまずお尋ねをいたします。
もう一つ、入管の話は、警察が捕まえましても入れる場所がないとか、入れている場所が、先ほど、独居房がないとか、六人部屋が八人部屋とか、えらいことになっております。加えて、刑務所のいわゆる衛視というか、刑務所の職員の負担はえらいことになっております。
それから、ただいまの御質問で、被収容者、受刑者の人権の問題でございますが、委員御指摘のとおりに、刑務所等の行刑施設の過剰収容状態は極めて深刻な状態となっており、やむを得ず独居房に二人収容したり、それから雑居房において定員を超えて収容している状況にございます。こうした過剰収容の状況は受刑者に相当な負担を与えておりまして、ストレスの高まりの結果、けんかなどの粗暴事案が発生しております。
精神に変調を来したり、あるいは、府中の独居房では、一日じゅう新聞紙をただ細かくちぎって箱に入れるという生産性のない、そういうさいの河原みたいな仕事をいたしている方がいまして、胸が痛みました。それを毎日させなきゃいけない刑務官の方の心の痛みの深さというのをさらに感じます。
あるいは刑務所で、いや、刑務所の方は頑張っていると思います、それはもう、あの過酷な労働条件で、私も見させていただいて、独居房に二人入れたり、いろいろ、大変なところでよく怖くなくやっているんだなと私は思いますけれども、ここで矯正するということは無理なんじゃないか。
新聞報道などで時たまやられますけれども、何か独居房に入れておいて、便所掃除もやらされているんだと。それでもフセインは自分の説を曲げないで裁判になったら頑張ると言っておると。それも立派な態度なんですけれども。 これ、裁判の法治主義、裁判に適用されるのは大変重大なことなんです。
現在、事件後の事務処理に伴う収容調整により収容人員は定員まで若干の余裕がありますが、府中刑務所や大阪刑務所といった他の大規模収容施設に比べ独居房が少なく、昨年十一月、二百人規模の独居収容棟が新たに完成し、処遇困難者や勉学に取り組む者等処遇上の配慮が必要な者に対応しております。
その一方におきまして、雑務係の職員が、以前保護房で使用していた飲料容器というのは今保護房ではない独居房で使用されているものであることをふっと思い出しまして、そして同じく四舎一階というところに行きまして、その河村委員がお示しになったものとよく似た容器があるのを確認いたしまして、処遇首席に報告しました。
その結果、その間のまたいろいろいきさつがございますけれども、十九日、翌日の朝に至りまして、名古屋刑務所で再確認いたしましたところ、現在、保護房ではない一般房で、一般の独居房で使っている飲料用の容器が、いわゆる放水事案当時に保護房で使用していた容器と同種のものであるということがわかりました。いわゆるそういう報告が矯正局にございました。
名古屋刑務所に調査させましたけれども、その結果、保護房で使っている容器は、これは平成十四年九月以降かわった、先ほど申し上げたポリエチレン製のものであるけれども、そうではない飲み物容器が、同じ刑務所の中の、二種房というふうに呼んでいるんですけれども、自殺などのおそれの高い人を収容する、そういう独居房なんですが、そこに収容している人に対して飲み物を供与する際に使っているという容器がございました。